「私たちが人生に何を期待するかは重要ではなく、むしろ人生が私たちに何を期待しているかが重要なのです。」
これはヴィクトール・E・フランクルの言葉。
昔、瞑想を始めて3ヶ月目のある日、私はフランクルのこの言葉の意味を理解することができた。
私が世界に意味を問い、期待し、与えてもらうのではなく、私は世界から問われている立場であった・・・。
この世に生まれて、人生の意味が無いと嘆き、人生の意味を問う姿勢から、私が人生に問われているのだと視座を変えた。この視座の転換は、フランクルの言う思想のコペルニクス的転回で、それが私にも起きたのだった。その時、エゴ感覚が薄まったのだと思う。
その数日後、私は強い執着を手放した。それは長年、掴んでいた執着だった。執着を手放した直後、求めていたものは手に入った。
禅の言葉に「放てば手に満てり」という言葉があるそうだ。