Journaling Salon Sati

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ヴィパッサナー瞑想の実践者にも役立つジャーナリング

ジャーナリングはヴィパッサナー瞑想の実践者にとっても役に立つ。無意識の意識化が起き、自分の内面に対する気づきを得ることができるからだ。ヴィパッサナー瞑想も、心随観(自分の心を観察すること)によって、自分の内面に気づいたり、無意識の意識化が起きて、自己理解が深まることがある。自分を苦しめている原因が自分の心の癖にあり、それに対する気づきが、劇的であることもある。

ジャーナリングで自分の内面に対する気づきが起きた時の私の体験を書いておこう。

ある時、私は瞑想中、全くサティが入らなかった。妄想が酷く、気づくことができなかった。ジャーナリングしてみると、サティが入らない自分を情けないとジャッジしていることが分かった。

「サティ、入らなくても、まあいっかあ」

私はサティが入らないことを受け入れた。すると自分を情けないとジャッジしなくなった。自己受容。

瞑想修行者がサティが入らない自分をジャッジしてネガティブな感情を抱くことは結構あるらしい。私はジャーナリングによって、ありのままの自分の心に気づくことができ、自己受容することができた。

原始仏教に四念処という言葉がある。身の随観(体の観察)、感受作用の随観(感受作用の観察)、心の随観(心の観察する)、法の随観(今書いたもの以外のものの観察)の四つが四念処だ。

ジャーナリングは時に紙とペンで心随観を行っていることがある。無意識的な思考が紙の上に書き出され、読み返すことでその思考を自覚することができる。無意識の意識化により、自分の内面に対する気づきが得られる。