ジャーナリングによって自分の内面に光を当て、無意識の領域を浮かび上がらせる。無意識の意識化が起き、自分を苦しめる思考パターン、思考の癖、反応パターン、思い込みに気づくことができる。それらに気づくことで、それらを手放す。
原始仏教の清浄道は余計なものを手放していく引き算の生き方らしい。対して俗世間の生き方は、欲しいものを手に入れ幸福になろうとする生き方だ。馬の目の前にぶら下げられた人参をずっと追いかけ続ける人生だ。
こんなことを言っておきながら、凡人の私は足し算もしている。もっと引き算をしなければ。